山中さわお『DISCHARGE』(2010)

 2010年盛夏。仙台。六畳の無機質な部屋。机横の台にある、実家から持ってきたパナソニックの古びたラジカセにCDを入れる。隣の部屋に音が聞こえると迷惑だから、イヤホンをつけ、再生ボタンを押して音を待つ。思い返せば、もう5年も前になる。テレビもパソコンもない予備校の男子寮で夏休みを過ごしていた僕の唯一の娯楽が音楽だった。

 5月、仙台パルコのタワーレコードで見つけたこの音楽は浪人生の僕とともにあった。ヘロヘロなギター・サウンドと、山中さわおの普段は聞けない抑揚を抑えた歌声は数年ぶりの猛暑だったその年の夏の僕の記憶と結びついている。あまりの暑さに窓を開け、セミの声とまじりあった音楽を聴きながら机に向かう僕。その窓から見える入道雲。寮を出てコンビニに昼ごはんを買いに走るときの太陽と陽炎、そして踏切のある坂からの景色。予備校の屋上で男だけで見た仙台の街と花火。この音楽を聴くだけでその情景が一つ一つ浮かぶ。

 決して名盤ではない。ただしこの音楽には確実にあのころの僕がいる。震災を経験していない最後の仙台の夏がある。そんな音楽に出会うことはこの先あるのだろうか。

 さあ、音楽が聞こえてきた。手元に転がっているえんじ色の三菱鉛筆を手に取り、青色の予備校テキストを開く。「(1) aを定数とし、xの2次関数y=2x2-4(a+1)x+10a+1……。」えーっと――――――――。

山中さわお「DAWN SPEECH」(『DISCHARGE』(2010)所収)

" " is a river of music that has absorbed many streams.

会社員。社会と情動とテクストに巻き込まれながら文化(特にポピュラー音楽)を書き、語り、読み、消費するということについて考えています。

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